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◆論評:第28回(2016年度)

【受賞者】 目黒紀夫

【受賞対象業績】 『さまよえる「共存」とマサイ―ケニアの野生動物保全の現場から』新泉社,2014 年。

【講評】
  本書は,保全についての多岐にわたる議論を分かりやすく整理したうえで,ケニア南部・アンボセリ地域の野生動物に対して試みられてきた「コミュニティ主体の保全(CBC)」の実態を報告し,マサイ住民と動物の共存について考察した秀作である。扱うのは,CBCを放棄して民間企業への賃貸に至った共有地上のサンクチュアリと,共有地分割後の私有地を組織した民間動物保護区であるコンサーバンシー,そして獣害に端を発する住民と政府の対立である。参与観察を交えてこれらの経緯を詳細に検討することによって,外部者がめざすCBCの住民に与える便益と権利が彼らの生計の方向と一致しないために,彼らが保全を重視しないことを明らかにする。CBCをめぐる対話においては,外部者が獣害・食害への人々の不満に耳を傾けず,彼らと動物の共存について偽りの表象を生み,また個人の責任を重視して住民の選別・排除を行う環境統治を試みており,これに対して権利者・被害者として交渉する人々の姿が描かれる。結局,獣害等はCBCとは別の場で政府が扱うべき問題と了解されていることが,臨場感あふれる事例とともに丁寧に考察されている。
  特筆すべきは,コミュニティの主体性についての考察を深めるために,本書がフーコー的な環境統治論や,公論形成に関する政治哲学の議論を導入したことである。規制緩和・権限委譲下での保全と民間ビジネスの結合,いわゆる新自由主義による世界の領土化が保全の分野でも進みつつある現状において,住民がどこまで新自由主義的な環境統治性の求める主体として行動ないし服従しているのかという,斬新な切り口を示した。そしてこの問題を,住民が保全に向き合う自己像をいかに描き,操作しようとしているのかを検討する視点とともに扱おうとする姿勢は,多くの分野の関心を集めるであろう。これらの点は著者が現場で感じた疑問に忠実に検討されており,理論の上滑りがないことも好ましい。
  マサイと野生動物が外部者の思い描くように「共存」していない以上,著者が解決策を安易に示そうとしないのは理解できる。だが,外部者の期待を裏切るCBCの顛末が少なくないなか,「共存」はどうあるべきか,また環境統治性の議論と保全の実践家の思考をいかにすり合わせていくべきかより踏み込んだ考察がほしいところである。もっとも,本書はほかにも今後への心構えや検討課題を喚起する強い波及力をもっており,さまざまな読者に開かれている点を高く評価できる。それは,保全をめぐる交渉のなかで「共存」の条件が絶えず変化することに留意すべきとの教訓であり,住民が便益を反保全的に使う場合にCBCはどこに向かうべきなのかという疑問であり,アフリカの共有地・公有地,あるいは「自然」に開発が及んで生じる住民との摩擦をいかに解決すべきなのかというより広範な課題である。ほかならぬ住民が「共存」をいかにめざそうとしているのかが,彼らの戦略的な自己表象と運動の積み重ねを検討することによって,より一層明らかになることを期待したい。

【受賞者】 浜田明範

【受賞対象業績】 『薬剤と健康保険の人類学―ガーナ南部における生物医療をめぐって』風響社,2015 年。

【講評】
  これまでアフリカの医療に関する人類学的研究の多くが,いわゆる伝統的治療や呪術に注目してきたのに対して,外来の異質な知識・技術・制度の導入については伝統への接ぎ木であるかのようにとらえている状況への挑戦,これが本書の目的である。ガーナは国策によってケミカルセラーという独特の薬剤商人を認め,さらに他のアフリカ諸国に先駆けて国民健康保険を導入した。本書はこうした類例の多くない医療統治の実態を記述する民族誌であると同時に,既存の研究枠組みが見過ごしがちな医療の諸側面を,より適切に理解しようとする意欲作である。ガーナ南部・プランカシ周辺農村の人々の日常生活が,医療をめぐる新たな諸主体・制度を内在化する様子と,それらを要素とするフーコー的な意味での医療の「装置」の実態,そして装置が人々の間に新たな対面的な相互扶助を生み出し,人々の生活とその社会性を「内側から」さまざまに構築しているとの議論は,刮目に値する。
  医療の専門教育を受けていないケミカルセラーが装置の正規の要素として薬剤を流通させているだけでなく,彼らを管轄する薬局評議会によってある種の診療行為をも期待されているという本書が明らかにする現状は,医療システムが丸ごと輸入されて伝統に並行して機能するという姿にはほど遠い。輸入された薬剤を認識する人々の論理が「伝統」のように不変のものではなく,装置としての医療のあり方に左右されるという側面も,医療システムと現地社会がそれぞれ一体性を維持しながら相互作用するととらえるならば,見えにくくなるであろう。本書は,医療,装置・統治,テクノロジーについての,ときに難解でもつれた議論を読み解いたうえで,システムとしての医療というとらえ方の不十分さを具体的に示し,アフリカ医療の現状を再解釈する一つの方法を提案しており,高く評価できる。医療人類学の分野に留まらず,ポスト植民地期のアフリカにおける統治をどのように理解し,記述するかを再検討する幅広い分野にインパクトを与える著作である。
  国民健康保険もガーナ医療の装置に加わった新要素だが,これは疾病に対する備えの個人化という単線的な反応をもたらしたのではなく,親族の保険加入料を支援する行為にみられるような,新たな相互扶助を並行して登場させたという。この議論は保険という一要素に焦点を当て,それを組み込んだ「装置」全体の姿を背景に退かせているものの,医療のあり方が人々の間にさまざまな反応を生み出しうるとの指摘は重要である。本書は,全体として民族誌的記述の厚みよりも強固な理論指向を際立たせている。他方,国民健康保険の制度整備の背景や,ケミカルセラーなどの準医療資格の創設の経緯については,さらに政治経済的,政治社会的な説明を補う余地がある。現在の装置が医療水準や人々の健康をいかに左右しうるのかも,医療関係者ならずとも知りたいところである。だが,諸要素からなる「装置」というとらえ方は,アフリカ医療の記述革新に留まらず,本書が述べるように,「現地社会」という存在を具体的にとらえる枠組みとしても興味深い。すでにある各種の社会理論のレビューを踏まえ,その意義をさらに模索していくべきであろう。

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