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◆論評:第30回(2018年度)

【受賞者】 緒方しらべ

【受賞対象業績】 『アフリカ美術の人類学─ナイジェリアで生きるアーティストとアートのありかた』清水弘文堂書房、2017年

【講評】
  本書は、ナイジェリア連邦共和国の都市イレ・イフェのアーティストを対象に、彼らにとってのアート、彼らと市場との関係、そして彼らの生活を描いた民族誌である。
  一般にアフリカ美術(African art/arts)とは、アフリカにルーツを持つ人びとによって作られた仮面、布、絵画などの造形を意味する。このような認識は、19世紀末期から20世紀初期のヨーロッパにおいて生まれ、その後、欧米の美術市場において、アフリカ美術は1つのジャンルとして発展し、学問的な対象ともなってきた。しかしながら、当のアフリカにおけるアーティストの活動や生活世界については、これまで十分な関心が払われておらず、不明な点が数多く残されている。本書において、著者は2003年から実施しているインタビューや参与観察に基づいて、イレ・イフェにおけるアーティストの営みとアートにかける思いを明らかにすることで、アフリカ美術研究におけるアーティストやアートの位置づけの見直しを図る。
  第1章では、文献資料に基づいてイレ・イフェの歴史ならびにアートの研究史が記される。ナイジェリア三大民族の1つであるヨルバの発祥地とされるイレ・イフェのアートは、欧米の研究者によって常に「ヨルバアート」として捉えられてきた。また、ナイジェリアの近代美術史を形成した大学美術学科やワークショップにおいても、イレ・イフェは「ヨルバの聖地」として語られてきたという。そのような言説に対して、著者はフィールドワークに基づいて、どのような人が「アーティスト」なのかを明らかにする。その上で、36名の作り手たちの自称を調査し、英語とヨルバ語のそれぞれの表現を吟味し、ほとんどの作り手が英語で「アーティスト」と自称すること、その理由は、ヨルバ語の「技術に関わる手仕事の担い手」という意味だけでは表現できない、西洋近代のアートワールドとの結びつきを現代の作り手たちが持っていることを探り当てる。
  第2章では、15人のアーティストを対象に、作品の制作と販売、作品の特徴、経歴と現在の暮らしが記述される。また、彼らの活動を描き出すために、イレ・イフェにおいてアートが需要される3つのタイプを設定し、分類を試みる。3つの需要とは、「古典的」な需要(伝統的な首長制度や宗教と関わる需要)、「鑑賞中心」の需要(正規の美術教育や美術市場と関わる需要)、「日常的」な需要(広告・宣伝や贈り物などの日常生活と関わる需要)である。そして、これらの需要に応じて、イレ・イフェのアーティストは「ヨルバらしい」ものから催事や冠婚葬祭、広告に用いられる「アフリカらしさ」すら求められないものまで、様々なものを制作している状況が明らかにされる。
  第3章では18人のアーティストを対象に、彼らが西洋近代の美術市場や地域のいくつかの市場との関わりのなかでアーティストであり続けている様子が描かれる。さらに、作品の売れ行きだけでは評価できない、アーティスト自身にとってのアーティスト/アートの価値や基準が明らかにされる。それは「独創性」や「創造性」、「血」や「才能」という言葉で語られるものであり、さらには正規の美術教育を受けたという学歴や資格の有無が1つの基準となっている。
  第4章では、コラウォレ・オラインカというアーティストを取り上げて、彼がアーティストとして生きることを可能にしている条件の数々が記述される。それらをまとめると、国際的な美術市場や美術教育といった制度と関係があること、また同時に、地域社会における人と人との繋がりや評価・価値を維持していること、となる。
  以上のように、本書はアフリカのある都市におけるアートの現状を、アーティストを取り巻く状況や、アーティストの認識と活動を描き出すことによって提示している。このような民族誌が書かれたことは、先行研究が乏しい分野における貴重な成果として高く評価できる。その一方で、本書の冒頭において著者が記しているとおり、本研究を「芸術のありかたを人類学によって再考する」ものだとすれば、その目的は十分に果たせているとは思えない。理由を端的に言えば、本書を読むことによって芸術に対する認識が変わったかと問われれば、変わらなかったと答えざるを得ないからである。それはアフリカ美術も西洋近代の「芸術=文化システム」に取り込まれているということが結論として記されている以上、必然的な結果であろう。
  著者は今後の課題として、「アーティスト」とは名乗らず、「アーティスト」と呼ばれることもない造形のつくり手と彼らの作品についても詳しく見ていくと記している。「アフリカ美術の人類学」の新たな地平が、本書で示された粘り強い調査と伸びやかな筆致によって、さらに切り開かれてゆくことを期待したい。

【受賞者】 鈴木英明(Hideaki Suzuki)
【受賞対象業績】Slave Trade Profiteers in the Western Indian Ocean: Suppression and Resistance in the Nineteenth Century, Cham, Switzerland: Palgrave Macmillan, 2017

【講評】
  本書は、19世紀インド洋西海域で展開された奴隷交易、特に商人や船員といった「奴隷交易の利得者」(slave trade profiteers)について、イギリス、フランス、アメリカ、インド、ザンジバルなどの文書館や図書館で蒐集した膨大な史料を渉猟・駆使しつつ、その動態を詳細かつ多面的に描き出した力作である。
  インド洋世界のなかでも、特にインド亜大陸西岸からアフリカ大陸東部沿岸にかけての圏域のことを「インド洋西海域」(the western Indian Ocean)と呼ぶ。そして、インド洋西海域を自然環境的に強く特徴づけているのが「モンスーン(季節風)」であり、同海域では、吹く方向を季節ごとに反転させるこのモンスーンを利用した海上交易が、「ダウ」(dhow)と呼ばれる木造帆船を主な輸送手段とする形で古くから営まれてきた。奴隷は、長年にわたってこのインド洋西海域交易における重要かつ利潤率の高い商品のひとつであり、そうした奴隷の海上輸送がピークを迎えたのが19世紀という時代であった。
  インド洋西海域、特にオマーン・ペルシャ湾海域とその周辺地域では、家内労働、軍務、漁労、航海活動、建設、真珠採取、プランテーション栽培などのための労働力として、奴隷へのニーズが古くから高かった。しかし、19世紀に入ると、そうしたオマーン・ペルシャ湾海域における伝統的な奴隷需要に加えて、遠く離れた大西洋側のブラジルにおいても奴隷へのニーズが高まる。また、アフリカ大陸東岸に近いモーリシャス、ザンジバル、ペンバといった島嶼でも、サトウキビやクローヴなどのプランテーションが拡大し、そのための労働力として奴隷を必要とするようになった。この結果、19世紀のインド洋西海域世界では、各地での奴隷需要の拡大とともに、奴隷交易が活発に展開されるようになる。しかし、その一方で19世紀はまた、イギリスがインド洋西海域世界の諸政権や為政者との間で奴隷交易廃絶に向けた諸条約を締結し、奴隷船の取り締まりを本格化させていく時代でもあった。こうした奴隷需要の拡大や奴隷交易の活発化というベクトルの動態と、同交易廃絶活動の本格化という逆ベクトルの動態が交錯し、様々な変容が生じていたのが19世紀インド洋西海域であり、それが本書の「舞台」にほかならない。
  しかし、このように本書が、19世紀インド洋西海域をその「舞台」とし、奴隷交易、なかでも奴隷交易者を「主役」としている背景には、著者なりのより深い問題意識がある。著者によれば、これまでインド洋世界は、世界経済とヨーロッパ植民地主義の拡張とともに18世紀半ば頃に歴史世界としての一体性を喪失していわば「崩壊」し、19世紀までには近代世界システムのなかにほぼ完全に包摂されてしまった、としばしば考えられてきた。しかし、著者はそうした見方に疑問を呈する。インド洋世界は、本当に18世紀にヨーロッパ列強によって破壊され、歴史世界としての構造やネットワークを失ってしまったのか。インド洋世界は、18世紀から19世紀かけての時期、西洋近代の影響に一方的に呑み込まれてしまったのではなく、むしろそれに抵抗したり、それを狡猾に利用したりしながら、歴史世界としての一体性を維持し続けたのではないか。著者はそう考える。そして、そうしたインド洋世界と西洋近代の関係性をめぐる「マクロで史観的な問題意識」を立証するための「ミクロで史的な考察対象」として著者が注目するのが、「舞台」としての19世紀インド洋西海域とそこでの「主役」としての奴隷交易者なのである。別言すれば、イギリスの奴隷交易取り締まりが導入・強化される一方、それに抵抗したり、それを巧みに回避したりしながら展開された19世紀インド洋西海域の奴隷交易、特にそれを主導した奴隷交易者のなかに、著者は、西洋近代の影響を強く受けながらもそれに抵抗し、自らの歴史世界性を維持したインド洋世界の「証左」を見出そうとしている。つまり、本書の「主役」は、そのタイトルからも明らかなとおり、19世紀インド洋西海域の奴隷交易者であるが、実はそれは「代役」にすぎないのであって、著者にとっての真の「主役」とは、「西洋近代に抵抗するインド洋世界」という歴史世界にほかならない。
  本書では、19世紀インド洋西海域の奴隷交易をめぐる特徴や史的変容が、当時の書簡、報告書、旅行記、日記、回想録といった貴重な史料をもとに詳細に考察されている。たとえば、インド洋西海域の場合、大西洋奴隷交易でみられたような奴隷輸送に特化した船舶はほとんどなく、奴隷は数多くの交易品のひとつとして輸送されていたこと、他の商品と混載されていたこともあって、1隻に積み込まれる奴隷の数は比較的小規模であったこと、大西洋の事例とは異なり、奴隷を輸送する船舶であるか否かは外観や艤装面では判断が極めて困難であったことなどが指摘されている。
  これに対して、イギリスは19世紀、そうしたインド洋西海域の奴隷交易の廃絶活動に乗り出すが、インド海軍(Indian Navy)が奴隷船取り締まりを担当していた1820年代から1850年代にかけての時期には、あまり大きな成果を挙げられなかったという。しかし、1860年代に入って、イギリス海軍(Royal Navy)の喜望峰小艦隊がインド洋西海域の奴隷船取り締まりに関与するようになると、拿捕される船舶の数が急増する。しかし、イギリス海軍の規程では、奴隷交易の嫌疑で拿捕した船舶の耐航性が不十分な場合、同船舶を海事関連の裁判所まで曳航することなく海上で破壊することが許され、それでも同軍所属の艦船に対しては奴隷船を取り締まったことへの報奨金が支払われることになっていた。このため、奴隷を輸送していた船舶だけではなく、奴隷交易とまったく無関係な船までもが、報奨金目当てのイギリス海軍艦船によって「奴隷船」として拿捕・破壊されてしまう状況が生じ、この結果、合法的な交易にも大きな被害が出た。
  そして、インド洋西海域の交易者たちは、こうしたイギリスによる抑圧的な奴隷交易廃絶活動に対抗するために、様々な抵抗を試みる。具体的には、イギリス海軍によって拿捕された際には奴隷を船員やその妻にみせかけて摘発を逃れようとしたり、奴隷商人とみなされがちなアラブ人ではなく、イギリス臣民であるインド人が所有する船舶を奴隷輸送にしばしば活用したり、イギリスの取り締まりに関する情報を交易者間で事前に共有して監視の網目をすり抜けようとしたり、イギリス海軍による拿捕を逃れるためにフランスの三色旗を掲げたりしたという。本書は、そうした奴隷交易の多様な動態を、章ごとに異なる史料を用いた異なる角度から、実に多面的かつ生き生きと描き出している。
  しかし、本選考委員会による選考の過程では、一部の委員から、「本書では、その最大の目的であるはずの奴隷交易者についての考察が必ずしも十分になされていない」との指摘があった。たしかに著者は、本書の冒頭において、「奴隷交易者とは誰であったのか?」(“Who were slave traders?”)という問いを自ら提示しているが、本書はその点に関して必ずしも十分に答えていない。それどころか本書では、本来の「主役」であるはずの奴隷交易者よりも、むしろ「脇役」であるはずの奴隷交易廃絶者や奴隷に関する記述の方がより克明になされてしまっているような箇所も散見され、読んでいてやや混乱する。
  しかし、西洋近代とインド洋世界の関係性という著者の「マクロで史観的な問題意識」を想起すれば、奴隷交易者を「主役」(あるいは、「西洋近代に抵抗するインド洋世界」という真の「主役」の「代役」)とする本書の主眼が、「奴隷交易者とは誰であったのか?」という問いの解明にあろうはずがない。というのも、もし仮に、奴隷交易者がどのような人びとであったのかがより具体的に解明されたとしても、そのことによって、インド洋世界が西洋近代に呑み込まれずに歴史世界としての構造やネットワークを維持したということの証左には、およそなりえないからである。そうではなく、「奴隷交易者はどのように抵抗したのか?」(“How did slave traders resist?”)を問い、それを奴隷交易廃絶者や奴隷の証言などを通じて生き生きと描き出すことこそが、本書の真の関心であろう。にもかかわらず本書では、冒頭の部分で、「奴隷交易者とは誰であったのか?」という問いがやや不用意かつ目立つ形で提示されてしまっているため、読者は、その問いの探究こそが本書の重要な目的のひとつであると勘違いをしてしまいやすい。
  本選考委員会は、本書が、「奴隷交易者とは誰であったのか?」という問いの詳細な解明はともかくも、「奴隷交易者はどのように抵抗したのか?」を問い、その抵抗のダイナミズムを多面的に考察することに成功した点を何よりも高く評価することとした。

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