[受賞者] 鶴田 綾
[受賞対象業績]『ジェノサイド再考──歴史のなかのルワンダ』名古屋大学出版会、2018年。
[選考委員]
委員長:梅屋 潔
委員:清水 貴夫、津田 みわ、溝辺 泰雄

講評

本書は、1994年にルワンダで起きたジェノサイドの起源を歴史的な文献から改めて理解しようとしたものである。多数派の民族集団「フトゥ」が、少数派の「トゥチ」を大量虐殺の標的とした、という標準的な説明に重大な欠陥があるとする。とくに、当該分野の先行研究においては、革命の原因について、ルワンダ国内でトゥチとフトゥの間の対立がすでにあり、ベルギー人と教会のフトゥ支持によるところが多かったと考えている。しかし、このエスニックな対立を、規定のものとして扱う考え方には重大な瑕疵がある。エスニシティは構築されるものであるという視点が欠けているのである。また、直接の影響力の大きかったベルギーと国連に集中するあまり、ルワンダを取り巻く国際関係にも、十分な目配りをしてきたとはいえない。つまり、これまでのステレオタイプ的な議論では、多くの場合複雑な背景に対する視角が欠落している、というのである。①過去からの連続性、歴史的事実と歴史認識の緊張関係などの歴史のダイナミズム、②集団の内部の多様性、③国内・国際・ローカルという3つの政治レベルを視野に含めることで国際的機序を含めた歴史的な文脈に置き換えることにより、包括的理解を含んだジェノサイドの理解を更新しようとするのが本書の狙いである。

特に、トゥチの王政からフトゥの共和制に移行し、ベルギーから独立した1950年代から1960年代前半の政治とエスニシティの構築的な実態が重点的に議論されている。そこでは、①~③の視点からみると、さまざまな要素が相まって政治変動が起こる過程で、トゥチとフトゥの関係が、それぞれ互いに対する暴力を正当化する装置として再構成されてしまったと結論づけている。本書の議論からは、本質的なエスニシティの対立が革命に結びついたとか、ヨーロッパによって対立が創られた、といった、これまでの先行研究で時に見られた単純化は注意深く回避されている。

しかし、複雑な要因について論じる本書の論旨には混乱はない。こうした結論を得るために、ルワンダをとりまく国際情勢にも広く目配りして十分な資料を提示している。そうした資料の読解を通して、脱植民地化、冷戦、国際連合での議論など、政治動向がエスニシティに与える影響を、ビビッドに描き出すことに成功している。ジェノサイドというセンシティブな出来事の後景にある歴史的事実の薄皮を一枚一枚剥ぎとるような丁寧な分析は、単線的なトゥチ―フトゥの民族対立ではないことを説得的に示してくれている。

先行研究のまとめも明瞭で、簡潔である。このことは、著者が本書の射程をきわめて自覚的に設定することができている証拠であろうと思われる。1950~1960年代の歴史資料からルワンダのジェノサイドの背景を描き出すというクリアな問題意識に基づく射程を、過不足なく、ストイックに論じている。

これまでもよくこのテーマでは用いられてきたベルギーと国連の公文書に加えて、イギリス、アメリカ、イタリアなど、広範に渉猟した英文・仏文の公文書と自身のフィールドワークで収集した口述資料を補完的に参照しながら、植民地統治期から現代までのルワンダ現代史を詳細に描き出した。特に従来の研究がその解釈を長らく更新せずにいた政治的独立期からジェノサイドまでのルワンダ現代史を豊富な史資料を活かして実証的に再検証した点は本書の独自性を示しており、その内容は国内外における今後の研究が参照するに価する価値を充分に有しているといえる。

まとまりがあり、「過不足なく」という表現がぴったりくるこうしたわかりやすい論旨の進め方は、研究書としてはもとより、一般向けの教養書としての高い価値を認められるものである。しかしその点は、見方を変えると、研究書としての物足りなさを印象づけることもある。たとえば、本書で用いなかったより多くの資料も手元にあるはずであり、多くのスピンオフを今後予感させる記載があってもよかった。また、手堅く歴史学の泰斗の認識で本書を締めくくることは、安定感と引き換えに本書にあってもよかった野心的な側面をそぐ結果になったことも事実である。

以下の点は、委員から今後の研究で改善あるいは展開の余地がある点として指摘があった事項の一部である。今後に期待する意味も込めて記載しておきたい。

インタビューの一次資料のもととなる現地調査は十分とは思われないし、分析も印象的なものにとどまっているようである。

結論部分に大きな理論的な貢献があるかどうか、新たな革新的な発見や問題提起につながったかどうかという点には議論がわかれた。終章における提言を含め、ややもすれば総花的、総覧的な内容にとどまっている、などの厳しい指摘もあった。

これらの指摘はいずれも、本書の価値を本質から損ねるものではない。今後スタンダードとなるはずの重要な研究であるということについては、審査委員一同一致した意見であった。選考委員会は全員一致で本書を奨励賞にふさわしいと判断した。