第36回 研究奨励賞(2024年度)[受賞者] 村津 蘭

[受賞者] 村津蘭
[受賞対象業績]『ギニア湾の悪魔-キリスト教系新宗教をめぐる情動と憑依の民族誌』世界思想社、2023年
[選考委員]
委員長:加茂省三
委員:石原美奈子、分藤大翼

講評

本書は、ベナン共和国南部のバナメー教会を中心に展開する新宗教の動態を、信者の情動の現れや憑依といった現象の側から描き出した民族誌である。ギニア湾岸諸国では、キリスト教と在来の信仰が混交しており、入り組んだ信仰の実践が生じている。ベナンを含む当該地域では、植民地統治と結びついて影響力を強めた主流派の教会とは別に、ペンテコステ・カリスマ系と総称される運動が1970年代から盛んになっている。このキリスト教系新宗教の特徴は、「悪魔」との闘いを主題として掲げる点にあり、この「悪魔」とは在来の霊的存在や妖術師のことを指すという。本書が対象とするバナメー教会は、2009年に設立された新興の教会であり、後者の流れに位置づけられる。著者は、2015年から2019年にかけて断続的にフィールドワークをおこない、数多くの宗教実践に参加し、人々と対話を重ねた。その成果は、2020年度に京都大学に提出した博士論文となり、その後に発表された論文とあわせたものが本書のもととなっている。

序章において、著者は先行研究を検討し、アフリカにおけるキリスト教に関する議論が、政治・経済的な社会変動の側面に偏っていることを指摘し、信者たちの宗教実践に即して事態の理解を試みるという、みずからの立場を表明する。そして、「憑依」という現象が、神あるいは悪魔が「身体を取った」と表現されることを踏まえて、霊的存在を感知し応答する「身体状況」に着目し、さらには感じることが感情となるところまでを「情動」として注視することで、人々の信念が身体において現れるさまを描くという筆者の企図が述べられる。

1章では、調査の概要とバナメー教会の背景となるベナンの歴史と宗教について、また在来の主要な霊的存在や、呪術と妖術について記される。

2章では、バナメー教会の始まりとなった出来事を取り上げている。病気の治療のために神父による悪魔祓いを受けた2人の少女のうち、一人は身体に悪魔や聖母マリアの霊が入ったことによって癒され、もう一人は身体に聖霊が降り、自らが「世界の創造主である」と語り始めたという出来事が記される。そして、これらの事件が集会において語られ、その様子を記録したDVDが発売され、ラジオなどのメディアも利用した宣教がおこなわれたことにより信者の数は増大した。そして、大規模集会への参加を通じて、信者たちは情動的・身体的に教会の運動に巻き込まれていった。さらには信者の証言がメディアによって拡散することで、教会の霊的な領域が形作られていったという。

3章では、信者たちが他の宗教からバナメー教会へと改宗する事情が明かされる。多くの改宗者が、「病いの治癒」はもとより「神が少女の身体に入ったという主張に納得した」ことが、バナメー教会の特徴であるという。そして、この主張をもって他の宗教に対して挑戦的な態度をとっていることも信者を引き付ける要因であるとされる。

4章では、教会が担う、悪魔による影響を取り除くデリヴァランス(解放・救出)について記される。デリヴァランスの過程で生じる憑依によって、対象者の不幸や不運の原因や理由が明かされる様が、数々の事例によって描かれる。

5章では、憑依というふるまいを信者が身につけていく過程が、憑依の場を形成する信者たちの想像力と情動のはたらきに着目して描かれる。それは例えば、デリヴァランスにおいて信者たちは憑依され「倒れる」のだが、「倒れる」本人と周囲の者たちの間ではたらいている想像力や情動、ならびに行為の習熟がどのように実現しているのかということである。

6章では、多くの信者がバナメー教会に改宗した理由として挙げる「病いが治癒する」という現象が起こる過程と理由が記述される。人々は病院において自らの病いが霊的なものを原因とする「送られた病い」であることを知り、教会へと足を運ぶ。そこで塩・オイル、ベルト、写真などのモノだけではなく、聖地という場所や、按手やデリヴァランスに接するなかで人々は「情動の攪乱」を経験し、自己が変容することで治癒が起こっているのではないかという。最後に、まとめとして終章が記されている。

本書が対象とする人々の信仰生活や宗教実践は、およそ御しがたく絡まり合った事態の運動であり、時に混濁する当事者の経験や語りに立ち会い、「出来事のなかで書くこと」を試みた本書は、フィールドワークに基づく成果として十分な価値を有している。審査委員会は、先行研究はもちろん調査資料を巧みに織り込みながら綴る著者の文章力を高く評価している。

加えて、本書が研究奨励賞にふさわしい理由は2点ある。一つは、各章の終わりに配置されているエッセイと数々の写真である。「私」を主語につづられた文章からは、折々に著者が身をおいた状況と著者の心情がすんなりと伝わってくる。写真も、言葉を支え、言葉に支えられるバランスをはかるように精妙に配置されている。いずれも灰色の紙に印刷されている様もあわせて、本書を出色のものとしている。もう一つは、本書の冒頭のページにQRコードとURLが掲載されており、出版社の特設サイトにおいて「バナメー教会を取り巻く人や霊、モノをイメージ・音・テクストで経験する」仕掛けが施されている点である。「マルチモーダル人類学」と呼ばれる新しい学術・芸術が、既存の枠組みを越えて、私たちとアフリカとの関わりをさらに豊かなものにしてくれることを期待したい。

以上の点から、審査委員会は本書が研究奨励賞にふさわしいと全員一致で判断するにいたった。