第36回 研究奨励賞(2024年度)[受賞者] 上村 知春

[受賞者]上村知春
[受賞対象業績]『恵みありて、インジェラに集う―エチオピア正教徒の食をめぐる生活誌』春風社、2023年
[選考委員]
委員長:加茂省三
委員:石原美奈子、分藤大翼

講評

本書は、エチオピア北西部のアムハラ農村に暮らすエチオピア正教徒の人々が営む食生活と宗教実践を描き出した、「食と宗教」に関する民族誌である。著者が2011年から断続的にアムハラ州に滞在し培ってきた経験と博士後期課程在籍中に行った集中的な参与観察による調査をもとに執筆され、2020年度に京都大学に提出された博士論文がもとになっている。序章・終章のほか全14章から構成される大部の著であり、そのうち10章分かけて人々の食の営みが描かれている。

まず食については、主食であるインジェラと副食の数々(第4章)、日常生活に欠かせない酒(第5章)、軽食(第7章)、「非断食の食べ物」である動物性食品(第8章)、皆で飲むコーヒー(第9章)、といった飲食物の種類ごとに、著者が住み込み調査を実施した世帯内での食事の準備と提供、消費をめぐる家族や隣人とのやり取りが事細かに記されている。また、食事の中心をなすインジェラと酒の原料となる穀物(シコクビエとトウモロコシ)の栽培方法について(第6章)も詳細な記述がなされている。さらに、食事をめぐる価値や規範については、食事の様式(食事の体勢と食具、作法)(第3章)、食べ物の価値判断(第10章)を記述している。著者はとりわけ女性に寄り添った調査を行っており、それは食事づくり(第11章)、調理者の担い手であること/になること(第12章)にも表れている。各章とも、調査地であるE村のなかでの生活を、詳細な事例とともに生き生きと記述したものであるが、歴史的変遷や他地域との違いに対する目配りも行っており、本文と注釈のキャッチボールのなかで読者の理解を深めていく手法は見事である。

だが、本書の特徴は食をめぐる生活誌にとどまらないところにある。エチオピア正教徒は、一般信徒の場合でさえ一年のうち約180日(聖職者の場合は約250日間)も「断食(動物性食物の摂取をひかえる、午後三時まで飲食をひかえる)」を実践する点にも表れているように、食は宗教実践でもあるのだ。そのため、著者は食生活に関する詳細を記述するに先立って、断食に関する章(第2章)を設け、エチオピア正教会の定める暦にしたがって、誰がいつ、どのように断食を行うのかについて述べている。さらに、自宅で行う食事だけでなく、教会での飲食を通じた宗教実践(第13章)や、「祝い日」における食の実践(第14章)についても詳述している。

そして著者は、終章において、食をめぐる様々な実践や価値観・信念を「フードウェイズ」という包括的概念を用いて表現し、エチオピア正教徒のフードウェイズを描き出すことの意義についてまとめている。

本書が本奨励賞受賞に値するのは、以下の三点においてである。

第一に、本書が「フードウェイズ」という用語を用いて食をめぐる実践や価値観・信念を枠づけ、生産・調理・消費にいたる食をめぐる実践をつぶさに記述する手法を編み出した点である。主食である穀物の栽培・収穫・保存から、多岐にわたる食材を調理し、それが消費されるまでの過程を詳細に書き記すという手法を確立した点は評価できる。

第二に、アムハラ農村の住民のつましい生活を実に生き生きと描き出した点である。事例のなかで登場する子どもたちや女性たちの姿が表情や息遣いにいたるまで感じ取れるような再現の仕方は、読者を飽きさせることなくリズムよく展開されており、それは著者の高い言語能力と執筆能力を表している。文章も一貫して平易な表現を用いることで、日々の些細でとるに足らないように思える出来事が書かれている事例と、その説明に相当する部分とが滑らかに移行する効果をもたらしている。

第三に、エチオピアの「食と宗教」の先駆的かつ挑戦的な研究に位置づけられる点である。これまでエチオピア正教会の儀礼や規範については多くの研究の蓄積があるが、日常生活の食に着目して宗教実践との重複を読み取り、食をめぐる実践のいたるところに宗教的な実践や象徴が散りばめられていることを参与観察によって明らかにした研究成果は世界でも本書がはじめてであろう。

もちろん本書が記述に終始しており十分な分析が行われていないという批判もあり得よう。だが、こうした没入的ともいえる参与観察をもとにした民族誌の執筆という経験が文化人類学者として飛躍していく原動力になっていくことを考えると、本書は著者の研究の今後の発展に大きな期待を抱かせるものとなっている。

以上の点から、審査委員会は本書が研究奨励賞にふさわしいと全員一致で判断するにいたった。