第31回 研究奨励賞 (2019年度)[受賞者] 橋本 栄莉

[受賞者] 橋本 栄莉
[受賞対象業績]『エ・クウォス─南スーダン、ヌエル社会における予言と紛争の民族誌』九州大学出版会、2018年。
[選考委員]
委員長:竹沢 尚一郎
委員:伊藤 千尋、金子 守恵、福西 隆弘、目黒 紀夫

講評

橋本栄莉のこの著書は、南スーダンのヌエル社会における予言者とその語りを中心に論じた重厚な民族誌である。ヌエル社会は、英国のエヴァンズ=プリチャードが1940年以降発表した一連のモノグラフによって人類学ではよく知られた社会であり、彼はヌエル社会を完結した社会としてとらえ、その社会構造や意味世界の独自性の解明に尽力した。一方、ヌエル社会を含むスーダンが独立した1956年以降には、植民地資料等をもちいたダグラス・ジョンソンに代表される歴史研究がさかんになった。橋本のこの著作は、歴史研究と人類学研究、社会変動につながる構造的要因の理解とその中で生きる人びとの意味世界の解明を総合しようとする点に特徴をもち、そのことが本書を貴重なものにしている。

同書は3部からなっている。第1部は「『予言者』の歴史的生成過程」と題され、英国の植民地支配から、独立、内戦、平和構築の試みへといたる歴史的経緯の中で、さまざまなステークホルダーがヌエルの予言者をどう位置づけてきたかを辿っている。第2部は「経験の配位」と名づけられ、著者のフィールドワークにもとづいて、ヌエルの人びとが予言者の語りを通じてどのようにさまざまな出来事を解釈してきたかを論じている。第3部は「クウォスの顕現」と呼ばれ、著名な予言者であるングンデン等が発した語りが今日のさまざまな出来事に結びつけられて「予言」として位置づけられることで「想像の共同体」が形成されていること、しかし「予言」の語りは一義的に決定されるのではなく、さまざまな解釈の余地を残していることを具体的なケースに沿って詳述している。

同書の題である「エ・クウォス」とは、「それはク・ウォスである」、「それは神慮である」と翻訳可能な語であり、ヌエルの人びとはこのことばを、身近な人びとの死から内戦や平和構築にいたる自己の能力を超えた出来事が生じた時に発するという。このように述べると、ある種の決定論や不可知論が想定されるかもしれない。しかし、橋本はこうした解釈をとらない。予言者の言葉を含めたこれらのことばは、つねに多様な解釈に開かれ、さまざまに読み替え可能なためである。むしろ重要なのは、スーダンの内戦から南スーダンの独立、さらに独立後も内戦がつづくといった過酷な歴史的試練のなかで、人びとが社会的および日常的な出来事を能動的に解釈し、そうすることを通じてみずからを能動的な主体として定位しようとするその営為を正確に評価することである。

このような重厚で詳細な民族誌が、内戦と対立のつづいた2008年から2013年までにおこなわれたフィールドワークを通じて作成されたことは感嘆に値する。この困難な時期のヌエルの人びとの営為を描いたモノグラフとして、後世に残る著作だといっても過言でない。反面、第3部の後半から終章にかけての解釈は十分に深められていないという印象を逃れない。著者は「モラル・コミュニティ」や「想像力」をキイ概念としてもちいるが、それが人類学の了解にとどまり、社会学や経済学などの隣接分野での議論にまで深められていないところに理由があるのではないか。著者の今後の一層の努力を期待したい。