第33回 研究奨励賞(2021年度)[受賞者] 中尾 世治

[受賞者] 中尾 世治
[受賞対象業績] 『西アフリカ内陸の近代: 国家をもたない社会と国家の歴史人類学』風響社、2020年。
[選考委員]
委員長:西浦昭雄
委員:網中昭世、戸田美佳子、増田研

講評

西アフリカ内陸の歴史研究において、古代王国のガーナ王国やマリ王国は広域的な支配権を及ぼした国家として知られる。これに対して、本書は、こうした古代王国の支配下に置かれなかったブルキナファソ西部のムフン川湾曲部の「国家をもたない社会」を舞台にしている。数千年の時間軸を設定し、国家の存在を相対化しながら、20世紀以降の過去と、19世紀以前という大過去とのあいだを往還しながら歴史を再構築するというユニークな方法論を用い、近代および国家の生成に抗おうとする西アフリカ内陸地域の論理について論じた歴史人類学の力作である。選考委員会は、今後の西アフリカ研究の基礎文献として位置づけられる完成度の高い著作として、本書を評価した。

西アフリカ内陸の歴史研究はとりわけ、仏語と英語による文書史料、アラビア語による文書史料、口頭伝承史料のそれぞれの史資料が地域的にも時代的にも万遍なく存在するわけではないという研究上の困難さを抱えている。またこうした史資料の偏在によって、仏語圏と英語圏では研究上のパースペクティブが異なり、統一的な歴史研究もなされてきたといはいえない。 これらの課題を抱えながら、著者はアフリカ各国の公文書館に散逸した史資料を探り当て、読解し、考古資料や先行研究、著者の聞き取りによる村の起源譚や特定人物の伝承など、性質の異なる史資料をそれぞれに解釈しつつ、時に、人物や地域の固有名を「タグ付け」することで連続的なものとして捉えている。その著者の一貫した研究手法には、既存の学問領域の枠を超えゆくメタ方法論が具体化されている。

本書は、仏語圏アフリカ諸国のなかでも文書資料が少なく、奴隷貿易を経て諸国家の「後背地」として位置づけられるに留まっていたムフン川湾曲部に焦点を当てた数少ない研究成果である。そして、新石器時代から20世紀後半にいたるまでの異なる時代を対象にすることで、植民地統治以前と以降の歴史を連続性なものとして、包括的に捉えるという視座を示す。本書の叙述によって、「国家に抗するシステム」を有していたムフン川湾曲部の諸社会において、奴隷の獲得や労働の供給、ムスリムの存在、国家の出現あるいはその試みによってそのシステムが解体されていく様が、100年を超えるタイムスパンでの社会変動の傾向性すなわち長期持続として示される。著者は、そうした傾向性を西アフリカ内陸における「近代」と位置づけて論じている。

本書の第一の貢献は、序論においてまとめられる、およそ100年にわたる西アフリカ内陸の歴史研究の学説史のレビューをとおして、歴史人類学に関する独創的な理論的知見を提示したことである。序論では、植民研究を萌芽とする文化接触研究、1950年代の植民状況論、大西洋奴隷貿易研究の副産物として発見された元奴隷の手記などの史料やアラビア語史料の「発見」、1960年代以降のマルクス主義に影響を受けたアジア的生産様式や従属理論、その後の世界システム論、1980年代以降に展開された「伝統の創造」論とアフリカ市民社会論、そして1990年代以降の「帝国的展開」や「統治性」といった現代に続く研究史がまとめられており、歴史人類学だけではなく、人類学そして歴史研究を専門とする読者と関心を共有する論考となっている。また、この部分では、歴史に向き合うための方法論が包括的に検討されており、過去を再構成し現在を理解するための「文脈のじならし」をどのように行うべきか、さらには、そのために文字史料はどのように扱われるべきかという重要な論点を提示している。

本書の第二の貢献は、既存の研究が「明確な主体」に焦点を当ててきた一方で、とらえどころのない「主体ではない側」を掘り下げている点である。こうした分析視角は、地域社会の総体的な理解の促進に貢献しうる。また、民主化後の政党政治が定着したかと思われたアフリカ諸国の2000年代、国家以外の、しばしば国家による暴力の独占に挑戦するものが出現している現状を理解する上でも示唆的である。本書では、史資料の偏りによる叙述の限界を踏まえ、その制約を乗り越えるために、章ごとに異なる時代の個別的な歴史を著者の分析によって再構成し、政治、経済、イスラームという抽象度の高い領域における持続と変容、そして領域間の関係性の変容として把握することを試みている。史料を丁寧かつ批判的に読む姿勢が貫かれており、それ自体が本書の主題を描き出す技法に結びついている。

選考委員からは、本書が用いた「メタ方法」について次のような指摘もあった。本書は考古学の成果と民族誌を組み合わせた従来からの方法を受け入れつつも、「20世紀の民族誌に依拠しながら再構成された19世紀という大過去」と「その再構成された19世紀像が変化した末に出現した20世紀の民族誌記述」という方法論上の循環を問いの俎上に載せる。歴史人類学そのものが抱える方法論的課題を問いながら「国家を持たない社会と国家の歴史人類学」を実践するという二重の課題を同時に克服しようとする本書において、著者はつねに難敵に直面している。だが、評者らは、このメタ方法論に関する議論は終章においてもっと深められて然るべきだと考え、研究アプローチへの取り組みがいまだ模索途上である印象を受けた。

しかしながら、こうした点は本書の価値を損なうものではない。むしろ、著者が「あとがき」で述べているように、本書に反映されていない調査結果もあることから、これからの著者のさらなる取り組みによって、より一層発展していくことが期待される。

以上のとおり、本書は、各章における明確な目的と考察による論考の明瞭さ、そして厚い記述が生み出すダイナミズムを持ち合わせている。本書全体を通して、異なる時代と研究分野を横断する論が展開されており、著者の圧倒的な力量を示している。選考委員会は全員一致で本書を奨励賞にふさわしいと判断した。