[受賞者] 小野田 風子
[受賞対象業績] 『不透明の彼方の作家ケジラハビ——スワヒリ語文学界の挑発者』大阪大学出版会、2022年。
[選考委員]
委員長:元木淳子
委員:慶田勝彦、杉木明子、藤田志歩

講評

本書は、スワヒリ語文学者ユーフレーズ・ケジラハビ(Euphrase Kezilahabi,1944-2020)についての研究書である。現代スワヒリ語文学で、日本語訳され、商業出版されたものとしてはフセインの戯曲一作あるのみという現状において、タンザニアの文学者ケジラハビの本格的研究である本書は、現代タンザニア文学を総体として知らしめるものともなっている。筆者の博士論文がもとになっているが、一般読者の理解のためにタンザニアのスワヒリ語文学史が付されていて貴重である。それによれば、散文については、植民地期に制定された標準スワヒリ語をシャーバン・ロバートが文学言語にまで鍛えあげたとされる。独立後、スワヒリ語が国家語に制定されて、スワヒリ語作品が激増した。1960年代後半から社会主義リアリズムの国民文学が求められ、ウジャマー政策を称揚するウジャマー文学が生み出された。1990年代以降、ポストモダニズムの実験的小説が現れているという。韻文定型詩については、その起源と型式、韻律規則がわかりやすく解説されている。

現代スワヒリ語文学がタンザニアでどのように受容されているかについて、筆者は現地調査を行っている。それによれば、1980年代から今日まで、「純文学」の書き手の多くは大学の研究者たちで、受容の場は学会などの知識人コミュニティに限られている。出版社や書店は脆弱で、ケジラハビの名は一般には知られておらず、大型書店にもその作品は見当たらないとされる。

ケジラハビについての詳細な伝記的資料はいまだ存在しない。筆者は、ケジラハビへの追悼文や友人へのインタビューなどから、その人と作品について記している。全小説と戯曲には丁寧なあらすじが付され、詩集は引用を交えて解説されている。

それによれば、ケジラハビは1944年、ビクトリア湖のウケレウェ島に生まれた。長じてダルエスサラーム大学に学び、その後同大学に職を得て、スワヒリ語作品を発表した。初の小説で、若い娘の恋の遍歴を描いた『ロサ・ミスティカ』(1971)は、キリスト教的に不適切であるとして発禁となった。詩集『激痛』(1974)で自由詩論争を巻き起こし、同年、小説『うぬぼれ屋』で、西洋化したエリート青年の破滅を描いた。1978年、学生デモ弾圧に抗議して戯曲『マルクスの半ズボン』を執筆したが、政治的圧力により出版されなかった。ついでアメリカ合衆国に留学し、1985年に博士論文「アフリカ哲学と文学批評の問題」を提出する。帰国後、二つの小説『ナゴナ』(1990)と『迷宮』(1991)を発表した。1995年、ボツワナ大学に移り2018年まで勤め、2020年、タンザニアにて死去した。

ケジラハビ文学の批評や研究は、これまで東アフリカと欧米で行われてきた。筆者はそれらに丹念にあたって評価の異同を示し、興味深い分析結果を記している。それによれば、東アフリカではケジラハビの評価は二分されるという。タンザニアでは、初期の作品に対して悲観主義との批判があったが、ケニアでは、政治に切り込み、検閲に挑んで、散文を芸術にまで高めたと評価する向きもあった。

また、『ナゴナ』は、筋らしい筋もなく、現実と非現実の区別もなく、多様な語り手による断片的物語の連なりのなかに、宗教家や西洋哲学者が多数登場する作品である。欧米では実験的小説として評価されたが、タンザニアでは、リアリズムに徹すべきで時期尚早と批判された。2000年代に入ると、『ナゴナ』とケジラハビの博士論文との関係が論じられるようになる。博士論文は非常に難解で、アフリカと西洋の哲学が吟味され、アフリカの本質を資本主義との関係において位置づけえた作家として、グギやセンベーヌが挙げられている。

こうして、ケジラハビの人と作品と批評についての見取り図が示された後、主要な作品の内在分析が行われ、詩においても小説においても変革者であったケジラハビ像が描き出される。それによれば、伝統的定型詩が、主として海岸部出身のスワヒリ人によって担われてきたのに対して、1960年代後半から、標準スワヒリ語の教育を受けた、スワヒリ語を母語としない内陸部出身のエリートらが自由詩を提唱した。変革派は、韻律規則にとらわれず日常語で個人の内奥を表そうと主張したが、その先頭に立ったのがケジラハビである。

一方、主要な小説として、『うぬぼれ屋』における複数の語り手が分析され、後の小説に先駆ける手法ととらえられる。さらに、『ナゴナ』と『迷宮』はひとつながりの作品群とされ、先行研究を踏まえて、ケジラハビの博士論文との関係が考察される。『ナゴナ』では西洋哲学中心主義が否定され、『迷宮』ではキリスト教的価値が否定されていると論じられる。

作品全体を見渡した後、筆者は、ケジラハビ作品においては、政治に対する作者の立場が、文学的技法によって意図的に曖昧にされていると結論づける。たとえば、初期作品の時代に、作家は、1967年に宣言され1982年に放棄されたウジャマー政策に向き合わざるを得なかった。ウジャマーに関する限られた資料のなかから、筆者は、作家の故郷がウジャマーの強制移住政策に苦しんでいた事実をつきとめる。ケジラハビは、文学者としてウジャマー文学の制作を求められる一方で、ウケレウェ人としては、この政策を称揚できる立場になかった。筆者は、作品群を深く読み込み、その不透明で曖昧な表現に、検閲をかわしつつ、なお真実を伝えようとする文学者の苦心を見る。議論は手堅く、無理なく展開されている。

本書でタンザニアの文学状況が明らかにされたことで、現代アフリカ文学の枠組みにおいてさらなる議論が可能になったといえる。今後は、グギ、サンベーヌ、カマラ・ライ、チュチュオラ、ショインカらの作品世界との比較、あるいは、1980年代、社会主義のコンゴ人民共和国における作家たちの表現活動との比較などが可能となろう。その意味で、本書は、現代スワヒリ語文学のみならず、現代アフリカ文学研究にとって貴重な文献といえる。以上、選考委員会が全員一致で本書を奨励賞にふさわしいと判断した次第である。