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◆講評:第19回(2007年度)

【受賞者】 花渕馨也

【受賞対象業績】  『精霊の子供コモロ諸島における憑依の民族誌』春風社,2005年。

【講評】
  これは著者の10年以上に及ぶ現地調査と,憑依に関する先行研究を精査しつくして書き上げられた大作であり,憑依という分かりにくい人間現象についてほとんどすべてを語りつくしたともいえるほどの傑作である。著者渾身のエネルギーを込めた労作であり,敬服に値する。
  読者は冒頭部分からまず著者の文章のうまさに感心することになる。著者は決して難解,晦渋の世界に餡晦することなく,むしろ平易な文章を綴りながら,読者を自分の世界にいざない,引き込む力を持っている。
  インド洋,アフリカ大陸とマダガスカル島とにはさまれた海洋域にあるコモロ諸島に住む人々にとってジニと呼ばれる精霊は,彼らの日常の現実生活に介入してくるリアリティのある存在である。ジニは単に伝承の中にのみ登場するのではなく,人々が直接に語りかけ,交渉することの出来る生きた存在なのである。このジニが一つの生きた人格のなかに乗り移り(憑依し),憑依された人は別人格として語り,行動するという奇妙さ,そのことについて花渕は「普段はあまり意識しない自分と自分の身体の不可分な関係に,すっとナイフを刺し込まれるような感覚」と絶妙な表現をしてみせる。すっとナイフを刺し込まれたこの裂け目について,どう理解すればいいのか。花渕はまずこれまで人類学者たちを苦しませ,かつ熱中させてもきた現象について先行研究を丹念に紐解き,読者に手ほどきすることから始める。それは微細であり,先行研究それぞれの論考の貢献,残された問題を丁寧に教示してくれる。それは憑依現象についての文献解題でありながら,著者の文章の巧みさによるのだが,決して読者を退屈させることのない力を持つものになっている。
  それ以降の諸章において,花渕は一つの人格に別人格が憑依するという不可思議な現象についてコモロ人の間でも信じる人と,信じない人がいること,あるいは一個人がある時には信じ,しかし別の時には信じなかったりすること,また憑依されるのは既婚の女性が多く,男性には少ないが,しかし,男性の中にも憑依施術者として高い社会的評価を受ける人がいること,また人口の99パーセントがイスラム教徒である社会における憑依現象とイスラムとの関係など,コモロにおいて憑依を巡る社会的条件,環境を記述,その後で精霊ジニと個人の関係,憑依治療儀礼の具体的なありよう,憑依に関する儀礼が相互互酬的であることなどについて詳述していく。こういった詳細な記述を読み込んでいくと,憑依というきわめて個別,不可思議に見える現象も,広い範囲で,長期にわたる観察を通してみると,要するに一つの大きな社会的・相互互酬的なシステムの一つではないかということが垣間見えてくる。
  最後の章,「憑依というふるまい」は,「ふり」と「ふるまい」という二つの語の異同,それらに関わる「あそび」の様態を重ね合わせて考察がなされ,圧倒的なおもしろさを見せている。あそびは遊びに徹するからこそ,あそびであるのだが,憑依は一見,あそびを装いつつ現実に具体的に働きかけるのである。
  これまでの先行研究において,不可思議極まるともいえる憑依現象について,「憑依とはXである」といった記述がなされるのが通例であった。記述が科学的であろうとすれば当然そうなるはずのものであった。たとえば,憑依とは演者と観客との間での暗黙の合意の上に成り立つ演技である。あるいは,憑依とはヒステリー現象の一つである。さらには,憑依とは弱者が示す抵抗の一つの形である,といった解釈がなされてきたのである。花渕が大きな共感を寄せる解釈はランベクのそれであり,憑依を「コミュニケーションの一つの様式」として捉えるものである。この解釈により「単一の目的や機能に還元し得ない精霊の多様な役割を描く可能性」が開かれると花渕は言う。その上で,花渕自身の解釈学的記述として「憑依というふるまいは,それ自体閉じた体系として自律的コンテクストをなしているのではなく,そのつど構築されるコンテクストとして成立する現象であり,外部に対しつねに開かれたシステム」と見るべきであろうと記している。この解釈は憑依についてXであると断ずるというより,「そのつど」の解釈を可能にするという意味で開かれていると同時に,Xであると断じないことによる曖昧性,解釈の幅を許すものだともいえよう。
  ともあれ,この研究は花渕が10年以上の歳月を費やして,ムワリ島では初めてという人類学的な調査を遂行し,現地の人々と多少とも内面世界を共有できたからこそ可能となったものである。憑依をめぐる先行研究,特に,ルイス,浜本,クラパンザーノ,ランベクらを主メンバーとするオーケストラに新しい一員として加わった花渕が演ずるシンフォニーが,いかように解釈され,味わわれるか,それを見るためにも欧米語への翻訳出版が望まれよう。

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